赦せないことに苦しむこと、悲しむことがあると思います。赦すことがその人のためになるとは思えないから許さないという道を取ることも少なくないと思います。それは赦していないことなのか、それともある部分までは赦しているということなのか、よく分からないということもあるでしょう。悪い行いに対して罰を定め、それは実行されたけれども、だからといって赦せない思いが心から消え去らないということもあるでしょう。赦しということを、謝罪の申し出を受け入れるという意味で考えているのか、それとも責任を免じるという意味で考えているのか、自分でもよく分からない、相手もどう捉えているのか分からないということもあるでしょう。分からないままに、人との関係に迷ったり、悩んだりする私たちです。
礼拝で私たちは、私たちを招いてくださる神さまのもとに集い、み前に進み出ます。憐れみによって私たちを救ってくださる神さまのみ前では、私たちは死への恐れを抱えている自分のままでいられます。人の前では平気な振りを装うことがあっても、神さまのみ前では繕う必要はありません。死がいつか訪れることへの不安、死そのものへの不安、自分の人生や生活や人との関りが断ち切られることへの不安があります。死へと向かう途上、肉体の重荷が増え、機能や力が失われてゆくことへの不安、愛する者が変わってゆくことへの不安、愛する者の存在とつながりが奪われることへの不安があります。詩編116編が綴っているように、死は生きている者の日々を侵します。
ある父親が息子を連れて主イエスを訪ねてきました。しばしば発作に襲われてきた息子です。発作を起こし、意識を失って倒れればどこかを必ずひどく打ってしまいます。それによって深刻なダメージを受けるかもしれません。父親は、発作の際に火の中や水の中に倒れることがあったと言います。既に火傷を負ったり溺れたことがあるのでしょう。いつ発作に襲われるか分からず、深いやけどやひどい怪我、重い後遺症を負うかもしれず、溺れるかもしれない、死んでしまうかもしれないと、親は日々どんなに胸を痛めてきたことかと思います。
主イエスが多くの病人を癒やされたことを伝え聞いていたのでしょう。父親は主イエスに自分の息子も癒していただきたいと思い息子を連れてきたのですが、その時主イエスはおられませんでした。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子たちを連れて高い山に登っておられたのです。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。彼の時代のアメリカでは黒人が白人に当たり前のように差別され、洗面所もバスの座席も黒人が隅の方に追いやられていた。差別される側にとっても差別する側にとっても、それはごく自然のことであったと言う。その現状を正すため、キングは「非暴力」による差別撤廃を目指し、バスに乗らないように訴えた。その時、バスをボイコットして歩いた人たちが歌ったのが、先程の讃美歌(Ⅱ164)、“we shall overcome”(我々は必ず勝利する)というゴスペルであったと言う。その出来事を契機に、白人の中にも人種差別の矛盾を感じる者が続々と現れ、やがて黒人白人合い混ざった20万人もの大群衆によってあのワシントン大行進が始まった。そこで「わたしには夢がある。奴隷の子と主人の子が同じテーブルについて中むつまじく共に食事をすることを」、というあの有名な“I have a dream”で始まる演説がなされるのであるが、その時の大群衆もまたあのゴスペル、“we shall overcome”を歌いながら行進したという。
聖書には何度だって聴きたいと思うような主イエスの言葉が記されています。例えば、「心の貧しい人々は、幸いである」と祝福を繰り返すことから始まる山上の説教には、心にじんわりと染み入るような言葉が溢れています。聖書にはまた心に刻み付けたくなる主イエスの姿があります。ご自分を求めて集まってくる人々が、羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て深く憐れまれた主イエスの姿や、お腹を空かせた大勢の人々のために、僅かなパンと魚を取って、感謝してそれらを裂き、分け与えてくださった主イエスの姿に力づけられます。
しかし今日の箇所が伝える主イエスの言葉や姿には、非常に厳しいものがあります。赦しや安らぎを求める私たちの心をざわつかせ、強張らせます。そこまでおっしゃらなくても良いのではないか、厳し過ぎるのではないかと、抗う思いも起こるかもしれません。私たちを困惑させる箇所です。
フィリポ・カイサリア地方に行かれた主イエスは、この日弟子たちに、人々がご自分をなんと言っているのかと問われました。彼らは直ぐに人びとがどう言っているのか答えます。弟子たちの報告から、人々はまだ主イエスのことを理解していないことが分かります。領主ヘロデが勘違いをしていたように、主イエスのことを洗礼者ヨハネの生き返りと思う人もいれば、終わりの時にメシヤ、救い主に先立って再来すると人々に信じられていた預言者エリヤだと言う人もいる。中には預言者エレミヤだという人も、他の預言者だという人もいます。人々は概ね、主イエスは神さまから遣わされた特別な方だと、神さまが約束された救い主に先立つ預言者ではないかと思っていたようです。
ではあなたたちは私を何者だと言うのかと、主イエスは弟子たち自身の考えも問います。主イエスに従う者は誰でも、自分のこととして、主イエスはどのような方なのか考えることが問われます。考え、それを主イエスのみ前で言い表すことが求められます。主イエスは応えることを待っておられます。
預言者ハガイを通して、神が古代イスラエルの民に「山に登り、木を切りだして、神殿を建てよ」(8節)と告げられたことが述べられています。エルサレムの神殿は廃墟のままなのに、神殿を再建することへと動き出せずにいた人々が、神さまの言葉と力をいただいて、動き出したことが語られています。
死が近づく時、人は幼かった日の頃のことを思い出す、と言われる。ドラマや映画のストーリーにおいても、登場人物が死ぬ直前になると子供の頃を回顧するシーンが見られる。空を飛ぶ鳥が自分の巣へと戻るように、或いは海へと泳ぎ出していった鮭が最後に川を上って産卵を済ませて生涯を閉じるように、人間にも最後は出発点に戻ろうとする本能のようなものがあるのかもしれない。一方で、これまでの人生を振り返って悔やみきれない思いに曝され、忸怩たる思いで息を引き取る、という人もあるだろう。死ぬ間際まで頼朝の首を持って来いと叫び続けた平清盛や、幼い息子秀頼の将来を案じて死ぬにも死に切れない思いで息を引き取った秀吉などはその典型だと思う。しかし彼らにも、そして誰にでも、年端のいかない頃には後悔という言葉も知らずに無邪気に生きていた日々があった。始めから恨みつらみを抱えて生まれて来た人間などいない。そのあどけない日々まで思い返すことが出来るなら、或いは明日を担う孫やひ孫の声を聞けたなら、どんなに悔しい思いで死を迎える人であっても、一瞬表情が和らぐことはあるのではないだろうか。
主イエスが大勢の人の空腹を満たされたという、良く知られた出来事を聞きました。何が起きたのかもっと詳しく知りたいという思い、この現象を何とか上手く説明したいという思いも沸き起こりつつ、この群衆の中に私も居たかった、という憧れのような思いも抱くのではないでしょうか。主イエスが天を仰いで祈り、祝福し、分けてくださったパンと魚を、人々と一緒に受け取りたかった。この夕べの時を主イエスと大勢の人と過ごしたかったと、多くの人がこの箇所を聞いてはそう思ってきたのではないでしょうか。
私たちは自分が過ごす人生という時間を、ただ消費するだけのような仕方で過ごしたくはないと思うのではないでしょうか。生活をしていかなければならないのは勿論ですが、ただ日々の生活を回せればそれで良いと思っているわけではないでしょう。自分の思いやエネルギーを注ぐに値するものを見つけたいと、この歩みを少しでも意義のあるものとしたいという願いが私たちの中にあるのだと思います。“この状況で、人生を意義のあるものにするなど、望めるはずがないではないか”と、怒りや悲しみを覚えるような、困難な時もあるかもしれません。自分が自分にする期待や周囲からの期待に応えられる成果を出せていない時、自分は何のために力を注いできたのかと辛く思うかもしれません。人生を意義あるものにしたいという願いを持つには、自分は値しないものだと、自分で自分を貶めてしまう時もあるかもしれません。不安に自分の中の多くの部分がどんどん覆われてゆくような、追いつめられる思いをする時もあるかもしれません。そのような人間にイエス・キリストは、不安に支配されない道、自分が自分の全てを支配するのではない道を示されました。