過去の説教

過去の説教 · 2025/03/03
主イエスはこれまでも天の国のことを語り続けてこられました。しかしご自分の死がすぐそこまで迫っているこの時、人々に伝わって欲しいとの願いは一層増していたことでしょう。主イエスをその目で見ることも、その声を聴くこともできなくなったととき、あなたがたはこう待ちなさいと、キリストの再臨を待ちながら生きることを譬えで語られます。
過去の説教 · 2025/02/25
生まれた時からあなたの将来は既に決まっている。そう言われたら人は何を感じるだろう。出身大学がどこか。勤めている会社はどこで、どんな役職か。そういったことも、あなたがどのような家庭に生まれたかで決まっていて動かせない、としたら、人はどんな思いで生きていくのだろう。成功している人は問題ないのかもしれないが、負け組とレッテルを貼られているような人はどんな気持ちがするだろう。その人たちは明日への希望をいったいどこに見出せば良いのだろうか。
過去の説教 · 2025/02/17
自分たちの復興は都の地に神殿を再建することから始まるのだと希望に燃え、その願いがなかなか実現に至らないことに力を落とす人々に預言者は、神さまの住まいは天であると語ります。天も地も神さまのみ手の業であり、その圧倒的な存在と美しさ、恐ろしさは、全ての上におられる神さまの栄光を表します。その神さまを人が建てるいかなる地上の建造物に入れておくことも、その中に留め憩わせることもできません。神さまが人々と共におられることで人が憩うことができます。神さまによって造られた天も地の一切のものも、神さまのものです。そのご自分のものの中で、天に座しておられる神さまが特に目を注がれるものは何であるのか、それは「苦しむ人、霊の打ち砕かれた人、私の言葉におののく人」だとあります。
過去の説教 · 2025/02/10
主イエス・キリストは、生涯最後の1週間となる日々をエルサレムで過ごしておられました。民の指導者層の人々は、かねてから主イエスに敵意を抱いていました。主イエスの語っておられることを神さまからのものと認めることは、自分たちのこれまでの在り方を問われることになってしまう、それは神さまのみ前で悔い改め、これまでの在り方を変えることにつながってしまいかねないと思ったのではないでしょうか。自分たちが指導的立場にいるこの社会で、自分たちのこれまでの在り方を守るために、主イエスの活動をこのまま放置するわけにはいかないと危機感を募らせたのでしょう。自分が世界とする領域の中で自分の思うような在り方を譲りたくない。それを妨げるものは、神からの言葉だと告げる者であっても自分の領域から取り除くことで、自分を守りたい、そのような誰の中にもある思いで、指導者たちは主イエスを敵としてきました。
過去の説教 · 2025/02/03
私たちの中には、神さまのものとされていることがどんなに幸いなことであるのか見つめるよりも、地上の権威に属する安心感に惹かれてしまうところがあります。その安心感に拠り所を求めてしまった神の民の歴史を、聖書は伝えています。
過去の説教 · 2025/01/27
クリスマスは教会の為だけにあるのではない。クリスチャンの為だけのものでもない。これは私の確信である。昔はそうは思っていなかった。受洗して未だ間もない頃、クリスマスの季節になると聖書もイエスもそっちのけで大勢の人だかりが集まる表参道や銀座通りなどを遠目で見ながら、これは本当のクリスマスではない、教会にこそそれがあるのだ、と自分に言い聞かせようとしていた。しかし次第に、そのような考えは狭いものだと気づかされていった。
過去の説教 · 2025/01/20
「一体、これはどういう人だ」。この問いをエルサレムの都中の人が、エルサレムの都に入って来られた主イエスに対して発したとあります。主イエスはどのような方なのか、それはその人の人生のその後を分けるほど重みのある問いです。この問いにエルサレムの人々がどのような答えを出すことになるのか主イエスは見つめつつ、エルサレムに至る道を歩んでこられたのでしょう。
過去の説教 · 2025/01/13
主イエスは様々な譬えを用いて人々に天の国を語られました。今日の箇所でも、葡萄園を所有する家の主人に、天の国が、言い換えれば神さまが、譬えられています。主人は葡萄園に、多くの働き手を求め続けます。当時の葡萄園の作業は、小さな規模のものを除いて、日雇いの労働者によって担われていたことが背景の一つにあるのでしょう。主人は朝早くから夕方まで何度も雇った働き手たちに、最後に雇った者から順に、同じ額の報酬を与えたという話です。ストーリー自体は分かりやすいのですが、すんなりと受け入れられるようなものではありません。
過去の説教 · 2025/01/05
マリアとヨセフが、幼子を迎えた家族として行った、聖書が伝える最初のこととは、当時のユダヤの親たちと同様に、律法を守ることでありました。特別な使命を担っていく自分たち家族の一歩は、神さまがなさってこられた救いのみ業と、民と共におられるとの神さまの約束の場で、神さまにお応えするところから始めようとしています。そうせずには神さまから委ねられた特別な使命を担ってはゆけないとの思いもあったかもしれません。信仰によるこの二人の行動が、シメオンとの出会いに繋がっていくのです。
過去の説教 · 2024/12/31
私たちの足どりを重くするものに私たちは囲まれながらも、クリスマスの恵みに光を与えられ、一歩一歩を力づけられています。神さまの独り子が私たちの間に宿られ、今も私たちと共におられるから、共にキリストを礼拝することのできる神の家族が与えられているから、私たちの内側に力が足りなくても、恐れることはありません。私たちを取り巻く困難さが私たちの歩みを重たくさせ、弱らせても、それらは私たちの全てを支配することはできません。クリスマスの恵みが私たちの一歩一歩を押し出すエンジンとなり、足元ばかりで見るのではなく、天を仰ぐ信仰の姿勢を力づけています。

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