「サムソンの祈り」士師16:23~31、フィリピ4:13
2022年9月18日(左近深恵子)
神さまによって奴隷の地から導き出されたイスラエルの民は、神さまが自分たちの神となられ、自分たちは神さまの民となるという契約を、ただ神さまの慈しみによって与えられました。ヨシュアに率いられてカナンの地に入った後も、このカナンの地においても神さまだけを神とし、神さまに仕え、礼拝し、神さまの恵みにお応えしていくことを、民は神さまのみ前で宣言しました。しかし新しい世代へと時代が進むと、人々は「主の目に悪とされることを行」うようになります。人々が行う悪とは何よりも、カナンの民が崇めている偶像の神々を、彼らも拝むようになったことを指します。カナンの神々の中でも特に有名なバアルは、雨や嵐をもたらし、作物の実りに関わり、豊作をもたらすとされていました。カナンの地に移り住んでから、農耕で生計を立てるようになったイスラエルの民にとって、偶像という姿形の見える神に、豊作という豊かさを求める周りの民の暮らし方は、大きな誘惑となったのでしょう。彼らの中でバアルに仕える者たちが現れてきます。ただお一人の神に背を向け、偶像にひれ伏すこの主の目に悪とされる行いによって、当時指導者を持たなかったイスラエルの民の内に混乱が起こり、内側から崩れ、危機へと陥り、結果として周囲の民の圧政の下に置かれるようになったことを士師記は語ります。神さまからいただいている自由と祝福と真の豊かさを見失い、神さまから離れ出てしまった人々を、神さまは周囲の民の手に渡され、神さまへと再び立ち帰ることを願われました。そして、このご自分への背きによって苦境に陥っている民を救うために、神さまは士師を立てられ、士師たちは民の争いごとを調停したり、敵が攻めてきたときに敵と戦いました。サムソンも聖書が伝える12人の士師たちの中の一人に数えられています。
サムソンの物語も、「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行った」という、ただお一人の神を神としない罪に再び民が陥っていたことを述べることから始まります。その民を神さまはペリシテ人という他民族の手に渡され、40年が経ったとき、サムソンが誕生しました。
母の胎にいた時から神さまに捧げられた者であるナジル人として聖別され、イスラエルを圧迫する周りの民から解き放つ救いの先駆者となることが定められていたサムソンでした。そのしるしとして頭に剃刀を当てないことを神さまから告げられ、この神さまとの約束を守ることによって、神さまとの交わりの内に生きていました。
他の士師たちは軍勢を率いて戦いましたが、常にサムソンは単独で戦います。軍勢を必要としないほど、サムソンの強さは際立っていました。突然吠えながら襲い掛かってきた若い獅子を素手で裂いたこともありましたが、サムソンの強さはペリシテ人との戦いの中で明らかになっていきます。最初は30人を倒し、次は1000人を倒します。ジャッカルを300匹捕え、その尾に松明を結び付けてペリシテの麦畑に火を放ったこともあれば、自分を閉じ込めようとする町の門の扉を門柱ごと引き抜いて山の上に運び上げたこともあります。サムソンの戦いは、その怪力だけでなく、その動機や目的が周りを戸惑わせます。欺かれたと怒って戦い、好きになった女性を奪われたと怒って戦い、暴力で報復をしているだけのようにも見えます。サムソンの攻撃は更なる報復を生み出す一方のようにも見えます。支配者であるペリシテとの間で揉め事を起こしたくない、これ以上関係を悪化させたくないと思う同胞からは、「なんということをしてくれた」のだと言われ、彼らの手でペリシテに引き渡されたこともあります。しかし、敵を倒す行為の前にいつも「主の霊が激しく彼に降り」と述べられていることにも気づかされます。神さまは、このサムソンと共におられます。けれどサムソンは、どう行動したら良いのかと、行動を起こす前に神さまにみ心を示してくださるよう祈っている様子はありません。これまで唯一サムソンの祈りが記されているのは、喉の渇きに耐え切れなかった時であります。そのサムソンのために神さまは、水を湧き出させてくださるのでした。サムソンを生まれる前から聖別され、その誕生を祝福され、成長したサムソンを奮い立たせてこられた神さまは、人々がその行動を理解できず、時に見捨ててしまっても共におられ、力を与え続けてこられました。
同胞がサムソンの行動に戸惑いを覚えずにはいられなかったのは、それが神さまの民としてふさわしいものに思えなかったからでしょう。神さまに聖別された者としては、なおさらであったでしょう。サムソンは美しい女性にめっぽう弱い人です。美しければ、ペリシテ人の娘にものぼせてしまいます。信仰深い両親は、神さまから与えられたサムソンを、神さまが告げられた言葉に従って大切に育ててきました。その両親が、敵であり、偶像の神々を崇拝するペリシテの娘との結婚を反対しても、サムソンは結婚に突き進んでいきます。そのような行動はペリシテの民にサムソンの弱点を探るかっこうの機会を与えることになってしまうことにも、思いが及びません。ペリシテ人に脅されたその娘が、サムソンが人々に出した謎の答えを聞き出そうとうすると、相手を自分につなぎとめておきたいサムソンは答えを教えてしまい、相手に裏切られて、危険な目に遭うのです。
神さまの恵みに感謝して、神さまが守るべきものとして与えてくださっている律法を守りつつ暮らしていこうとする人々にとって、なぜ神さまがこの思慮の足りないサムソンを立てられたのか、なぜこのサムソンに特別な働きを望まれるのか、理解できなかったでしょう。ある時は、サムソンが、倒した獅子の屍にミツバチが蜜を作っているのを見つけ、手で蜜をかき集めて食べ、どこからそれを持ってきたのか言わずに両親にも渡して食べさせたこともありました。律法で汚れているとされているのに、死んだ動物に触れ、そこにあったものを食べ、親にも食べさせるサムソンの中で、律法を重んじることよりも食欲が勝っているように見えます。自分の欲望に引きずられ、神さまが生きていくための道標として与えてくださっている律法を守る事に立ち続けられないサムソンでありますが、士師記はそのサムソンの弱さも含めて神さまはご計画の内に置かれていること、そのようなサムソンの行動も、ペリシテの支配からイスラエルの民を救い出すみ業の手がかりとされることを、伝えています。
しかしその後もサムソンの行動は相変わらずです。遊女の所に居たことで、ペリシテ人に命を狙われるという出来事が起こります。それでも懲りないサムソンは、更に別の女性にのぼせてしまいます。相手の女性はペリシテ人に唆されて、サムソンの怪力の秘密を聞き出そうとします。相手の気持ちをつなぎ留めておきたいサムソンは相手に、このことは神さまに捧げられ、神のものとして生きる自分にとって大切なことだから教えることはできないと、はっきりと告げることができません。嘘を重ねてごまかそうとし、結局最後は教えてしまいます。その結果、相手に裏切られ、髪を剃られてしまいます。神さまとの約束を保つことを放棄してでも相手の気持ちを失うまいとしたサムソンから、神さまは離れられます。これまで神さまが与えておられた力も引き上げられます。その事に気づかず、攻めてきたペリシテ人をいつものように迎え撃とうとして、ようやくサムソンはもはや神さまの力が共に無いことを知ります。ペリシテ人は易々とサムソンを捕らえ、両目を抉り出し、ガザに連れて行き、牢屋で粉を挽かせました。
自分が惚れた相手を自分につなぎとめておくための取引に、神さまが自分に注いでこられた恵みを差し出してしまったサムソンです。自分の弱さによって力を失い、視力を失い、自由を失い、神さまとの交わりに生きる人生を、神さまの特別な働きを担う人生を失いました。奴隷とされ、牢屋で過酷な労働を強いられ、生ける屍のようなサムソンの先にあるのは罪による死だけです。闇と絶望の中で、剃られた髪の毛が再び伸びるほどの時が経ちました。サムソンにとってその月日は、自分の罪を振り返り、神さまから与えられていたものを一つ一つ思い起こし、神さまの元へと立ち返る時間となったのではないでしょうか。
サムソンが牢屋からペリシテの領主たちの前に引き出されたのは、ダゴンと言う、バアルの父とされる神をまつる神殿でした。ペリシテ人たちは、ずっと手を焼かされてきた宿敵サムソンを捕らえることができたのは自分たちの神のお力に拠るのだと、イスラエルの神よりも自分たちの神が勝るのだと、ダゴンにいけにえを捧げ、勝利を盛大に祝っていました。彼らはサムソンをこの場に引き出してさらし者にし、屈辱を味わわせて楽しもうとしたのです。盲目のサムソンは、その神殿を支えている二本の柱を探り当て、それぞれに手を当てます。そして主なる神に祈りました。神さまが自分の祈りに応えてくだされば、これが自分の生涯最後の祈りとなることを知りながらの祈りです。自分の全てを投げ打つようにして、「わたしの神なる主よ」と、神さまに向かって叫びます。偶像の神々の勝利を祝う人々の只中で、その偶像を祀る神殿で、嘲笑にさらされながら、ただお一人の神を呼びます。「わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与えてください」と祈ります。思い起こしていただく相応しさは自分の中に何もなく、ただ神さまの憐れみに委ねるしかありません。しかし闇の中、サムソンが内なる目で見つめてきたのは、イスラエルがただ神さまの憐れみによって与えられてきた豊かな恵みであったでしょう。重い青銅につながれ、重い石臼を挽く毎日の中でサムソンは、かつて誰も太刀打ちできなかった自分の力は、自分が生み出したのではなく、神さまから注がれたものだったのだと思い知ったことでしょう。神さまが自分を思い起こし、自分と共におられ、望んでくださるならば、神さまにできないことはない、そう確信するサムソンは、ひたすら神さまに、今一度力を与えてくださいと懇願しました。神さまはサムソンの祈りに応えられます。サムソンはそこに集まっていたペリシテ人もろとも神殿を倒しました。サムソンは最後に、共におられる神さまを、神さまとの結びつきを思いながら、生きることができました。そして、屈辱と嘲りの中で朽ちていく死ではなく、イスラエルの民を救う神さまのみ業の始まりのために立てられた者として、イスラエルを圧迫するペリシテの力を押し戻し、神さまの民として生きることを揺さぶる偶像崇拝の力を押し戻す大きな一撃を与える死を、死んでいきました。サムソンの思いの中ではこの時もなお、何よりも復讐を求めていたことが語られています。神さまのご意志を理解することの不十分さが、生涯の終わりまで露わな人生でした。その欠け多いサムソンの、しかし必死に懇願する祈りに、神さまは応えてくださり、その生涯をイスラエルの救いのみ業のために用いてくださったのです。
サムソンの物語には、やりきれなさを覚えるところが色々あります。私たちの人生にそのまま重ねることはできない、そう感じるところも多々あります。しかし、弱く、不完全で、理解に遅く、同じような誤りを繰り返して、神さまとの交わりに生きることを貫けないサムソンは、イスラエルの民の歩みとも、私たちの姿とも重なります。欲しいもの、つなぎ留めておきたいものに比べると、神さまとのつながりはそこまで必要と思えなくなってしまう弱さも、重なります。神さまとのつながりという土台に立たないところで、必死に誰かの愛情を繋ぎとめようとしても、そのような人と人との関りは脆いものであることを、しかしまた、全てを失ってしまったように思えるところでも、神さまとのつながりに立ち帰るならば、その人を支える土台は失われないことを、サムソンの物語は私たちに示しています。神さまは、その歴史の中でご自分への背きを繰り返してきた神の民に、その度にご自分のもとへと立ち帰るように呼び掛け、救いのみ業を進めてこられました。この神さまは、神さまに背き、力を失ったこの自分も思い起こしてくださる方だと、祈りに応えてくださる方だと希望を失わなかったサムソンの姿にこそ、私たちの姿を重ね合わせたいと願うのです。
フィリピの信徒への手紙4:13は、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」と述べます。好ましい状況だけでなく、大切なものを失った状況にあっても、その状況と向き合い、暮らしていくことができると、それはイエス・キリストが共におられ、力を与えてくださり、強めてくださるからだと、語ります。十字架の死に至るまで神さまに従い通し、思いも理解も足りない弟子たちや人々に見捨てられ、神さまに見捨てられる、罪による死を死んでくださり、死に打ち勝って復活された主イエス・キリストによって、私たちの罪が赦され、死によって断ち切られない神さまとの結びつきが与えられています。この、誰にも奪うことのできない結びつきが私たちを強め支えるから、私たちは「すべてが可能です」と、究極のところで神さまにお委ねして暮らすことができます。サムソンのように、不完全で不十分で落ち度多い歩みであっても、祈りにおいて私たちが為していくことを、神さまは救いのみ業のために役立てられると、自由な恵みによって、人が生み出すことのできない力で私たちを満たしてくださると、神さまによって望みを抱き、お委ねして歩むことができるのです。