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ただ十字架を

主日礼拝説教原稿  「ただ十字架を」            岩田真紗美    1

2022年3月27日   ――『コリントの信徒への手紙Ⅰ』1章18-31節――

 

「十字架の言葉は滅びゆく者たちにとっては、愚かさそのものであるけれども救われる者たち、すなわちキリストを信じる私たちにとっては神の力です」と、使徒パウロは、コリントの教会に、聖書の御言葉の力を告げました。古代ギリシアの都市「コリント」は、地中海貿易の拠点として大変栄えていた町だったようです。聖書の巻末にあります地図を見れば一目瞭然ではありますけれども、コリントはギリシア北部とペロポネソス

半島の間を結ぶ、いわゆる交通の要所でありました。つまり人々は、この町を通ることで物資の運搬を早くスムーズに行うことができたのです。そして、この町を単に商いの目的で通過するだけではなく、そこで人々は価値観の異なる他者との交わりを持つことが出来ました。当然のことながら新しい経済や文化の考え方に触れることは、宗教や思想の面に於いてもさまざまな影響を齎します。本日共にお聴きしている1章の前の方の10節を見てみますと、同じキリストを信じる教会の仲間が、好き勝手なことを言わないようにと、パウロが必死に勧めている様子が窺われますから、この港町の発展によって、キリストの教えを伝えるパウロの苦労もまた大きくなっていった事が想像できます。教会の礎を築くためにコリントを三度も訪れながら、そこにいることの出来ない時もパウロは、切実な祈りと長い手紙とをもって町の人々の信仰を支え続けました。ギリシャ哲学や思想の発祥の地として栄えていたコリントの繁栄の片隅で、何か大切なものが置き去りにされているのではないかという危機感を、パウロは常に抱いていたようですし、特に洗礼についての理解がばらばらになっていることを警告しました。

主イエス・キリストの体である教会に招かれて、主の御名によって集められた私たちは、同じ聖書の御言葉を聞いて育ってきました。ですから、子どもが親の話す言葉でものを理解するように、父なる神さまの言葉、すなわち十字架の言葉を血肉として人々は生きているのです。しかしながら、コリントの教会ではキリストの十字架の言葉が一つではなく、いろいろに分けられてしまっているとパウロは嘆くのです。そして、自分の賢さや、神の言葉を流暢に語る才能にだけ拠り頼む人々に向けて、あなたがたは最も大きな苦しみを受けて私たちのために愚かになってくださった主の十字架を忘れているのではないか、と問うのです。更にこのようなコリントの人々にパウロは、旧約聖書の御言葉によって神の招きに入った最初の時の事を、思い起こさせようとしているのです。復活の主イエスに召された後のキリストの弟子としてのパウロの気概は、この手紙を聴く私たちにまるで肉声を聴いているかのように迫って来ると感じる事があります。それは、このパウロが語るように私たちは「宣教」という愚かな手段によって日々、聖書の御言葉をもって主なる神がお示しになる道筋を理解しているからです。本日共にお聴きしている箇所は19節で預言者イザヤが告げられた言葉が語られ、次に31節で『エレミヤ書』の御言葉が引用されていますから、この二箇所に使徒パウロは大いなる神の導きを受けていた事が窺われます。当時、人々の目を惹いて哲学と人間の知恵の競い合いが生み出す愚かさは、キリストの十字架の愚かさには到底対峙することが出来ないものでした。パウロは私たちがキリストにあって、言葉といい、知識といい、全ての点で豊かにされた、その恵みの計り知れなさを、伝えようとしているのです。

  

 「わたしは知恵のある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを退けるのだ。」と、これは聖書協会共同訳の翻訳でありますけれども、19節のところで使徒パウロは、『イザヤ書』29章が告げる主の戒めの言葉をもって、この世の知恵に心躍らせている人々を諭すのであります。パウロはその生い立ちが聖書の中にはっきり記されていることから分かるように、「キリキア州のれっきとした町、タルソスの町の市民、確かなユダヤ人」(『使徒言行録』21:39)でした。つまり、非常に優れたエリート教育を受けて育った人でしたから、律法にも良く通じていて、若くして著名な律法学者ガマリエルの門下に入っていました。ですからもちろんこの世の学びを否定する意味でこのように言っている訳ではありません。人々が他者から学び、文化的な交わりの中でより広い学問に目が開かれて行くことは、本当に素晴らしいことである、けれども、それを遥かに超えた神さまの御計画、神さまの摂理に根ざす信仰が確かにこの世を支配しているのだという事を忘れてはならないと、言っているのです。特にこの手紙では教会に集まるすべての人々に対してこのように熱く、意を決して呼びかけているのです。この世の知恵や権力、富にのみ頼っていては、やがて主が十字架上で流された尊い血が誰のために流されたものであるのかを人々が忘れ、自分勝手な歩みを、的を外した罪の道を行くだろうとパウロは考えます。主が十字架上で引き裂かれた肉が受けた、その御苦しみによって、私たちの傷が癒やされ、私たちの罪が拭われたという事を忘れた瞬間、人は再び神との垂直の関係から外れ、闇に引きずり込まれて行くことを、パウロは誰よりも良く知っていたのです。それは復活の主に召された自分が今、主を迫害していた時のかつての自分を省みる時に知らされる、主の十字架の愛の深さとも言い換える事が出来ましょう。

旧約聖書が伝える神の民イスラエルが、シオンに与えられた尊い隅の親石である主に再び目を注ぐようにと神に命じられた時が、今のコリントの人々の迷いの内にある歩みに重なります。そういう訳でパウロは、『イザヤ書』の御言葉によって語ったのです。正義と公正の源である神が、その災いの只中に確かな基準を据えられるから、だから悪は悪として裁かれ、主の驚くべき御計画が救いの御業として再び神の民に現れるのを待つことが出来ます。『イザヤ書』は「この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは、闇の中に隠され」(29:14)、イスラエルの神を畏れ敬うことに導かれることが肝要なのだと、神の手によって神との関係を修復する道に招かれた民の姿を悔い改めの証しとして、語っています。このことがコリントの教会に向けてこれほど熱く語られたのは先ほども触れましたように、教会が分派争いの波に揉まれていた事とも関係しています。民族的な背景や主張の小さな違いから、右が正しい、左が正しいと、それぞれが支持する派閥に分かれて争うあまり、コリントの人々は主イエス・キリストの名によって洗礼を授けられたという恵みを忘れてしまっていました。キリストがパウロを遣わしたのは、バプテスマを授けるためではなく、「福音を告げ知らせるため」であって、しかもそれは、「キリストの十字架が空しいものにならないように、この世の言葉の知恵を用いずに告げ知らせるため」であると、117節においてパウロは明確に、自分に与えられた使命を言い表しています。

本日ともにこの箇所をお聴きしているのは、他でもなくこれから栄えた街に遣わされるという道を見据えつつ、コリントの教会の人々の受けた忠告を自分自身の身にも言い聞かせたいと思うからです。126節からはパウロの、今度は少し語気を緩めているような、幼い子どもに語りかけているような言葉が戒めとして聞こえて参ります。「愛する私の兄弟たちよ、あなたがたが神さまに召された、初めて教会に連れて来られた時の事を思い起こしてごらんなさい」と、先ほど子どもメッセージで語らせて頂いた所を、再び共にお聴きして終わりたいと思います。

何の知恵もなく、家柄もどうということは無かった、神さまに造られたままの私であった時、主はその一人が最も尊く掛け替えのない存在だとして、この教会に呼び集めてくださいました。それは、「力ある強い者を、無力にするため。無に等しい者を敢えて主が選ばれたからだ」と29節でパウロは説明しています。あなたがたが、ここに、この教会に集まって主を讃美し、十字架の言葉を命の糧として味わい一週間の力を得ているのは、つまり「キリスト・イエスにある」のは、「神による」のである、神に根拠がある、ただそれだけであるとパウロは宣言するのです。そして最後に『エレミヤ書』9章の御言葉を用いて、「誇る者は、自らの知恵によってではなく、主に於いて誇れ」と、命じるのです。預言者エレミヤは、神の民に対して主の嘆きを伝える時に、まず初めに主に与えられた礼拝の地を民が捨ててしまったことによって、その地が嘆きの声を上げているのだと語り始めます。そして、「女たちよ、主の言葉を聴きなさい。あなたがたの耳は、主の口の言葉を受け入れ、あなたがたの娘たちには嘆きの歌を、互いに哀歌を教え合いなさい。」と、共に嘆くことを民に求めるのです。それは、力によって生きようと意気込む若者たちの力を、無力にするためでもあります。なぜ哀歌なのか、それは単に安っぽい同情の言葉で嘆くのではないからです。真実をもって、互いに執り成しの祈りをし、人生の最期の日まで神への感謝と赦しにおいて信仰を保つことが、地上に唯一の拠るべきものを与えられた神のみ旨であると聖書が哀歌をもって伝えている事が分かるからです。

かつてドイツのヒトラーの圧制下で「真実を語るとは何を意味するか」と、信仰によって神と人とに問い続けたボンヘッファーという牧者がいました。彼は1943年に獄中で友人に手紙を書き遺していますが、「新約聖書よりもむしろ旧約聖書を多く読んだ」と言います。それは神の律法の力を我が身に受け入れる場合にのみ、いつの日か恵みについて語ることが許されるのだ、と信じさせてくれるからだと言うのです。「有罪の宣告を受けたとしても、僕が関与した事柄については、何の非難を受ける必要もないしそれを誇りに思うだけだ。とにかく神が僕たちの生命を保ち給うて、少なくとも復活節は再び共に祝う事が許されるように願っている。」と、ボンヘッファーはキリスト者として共に獄中にある者たちに希望を与え続けました。力ある者が、その力を誇らず、裕福な者が、その富を誇らず、誇る者は、ただ主の十字架に示された神の愛を誇る者となるようにと、祈ったのです。獄中の書簡という点で、パウロと相通じる魂の力を感じます。「神さま、朝早くあなたに向かって呼びかけます。私を助けて祈らしめ、思いをあなたに集めさせてください。一人ではそれが出来ないのです。私のところは闇ですが、あなたのみ傍には光があります。私は孤独でありますが、あなたはお見捨てになりません。私は臆しておりますが、あなたには助けがあります。私は不安でありますが、御もとには平和があります。私の言葉は辛辣ですが、あなたの御もとには忍耐があります。私があなたの道を理解しなくても、あなたは私のための道を御存知です。」(『抵抗と信従』ボンヘッファー選集Ⅴ、新教出版社、1964年。)

 

取るに足らない者をこそ選び、神さまの御国の世継ぎとして、嗣業の民としてこの美竹教会に召し出してくださった主をただひたすらに信じ、十字架をのみ誇る者でありたいと、願います。