イースター・メッセージ

 

「イースターって何?」と誰かから尋ねられたら何と答えるでしょう。「イースターは、春の到来を楽しむためのイベントではない」とは言えても、「キリストの復活をお祝いする日」であることはなかなか言いづらいかもしれません。相手との関係が信仰の話をすることができるものとなっているかどうか、迷いを覚えるということがあるかもしれません。「復活をお祝いする日」だと説明したら、「復活を信じるって、どういうこと?」などと更に尋ねられるかもしれない、それに答えられるかどうか、不安を覚えるということもあるかもしれません。

 

 

神さまのみ業を語り尽くすことなどできないけれど、私たちがいただいている祝福を表現することはできます。たとえば、今、一緒に並んで礼拝を捧げることのかなわない大切な一人一人の不在を思います。その寂しさの中で、人となられたキリストも、大切な人々と別れる痛みを、その先にある死を見据えながら身をもって味わわれたことに気づかされます。そしてキリストと私たちとの結びつきも、キリスト者同士の結びつきも、もはや死が断つことはできないことに慰められます。この慰めを表すことができます。たとえば、大きな困難が襲い、自信を失い、不安で胸が張り裂けそうな時や、虚しさに呑み込まれて自分の存在がかすんでしまいそうな時、私たちに新しい命を与えるためにご自身を捧げてくださったキリストに、自分を丸ごと委ねることができる、この安らぎを表すことができます。

 

 

アニー・ジョンソン・フリントという詩人の、「神さまの約束は」という詩が、小塩トシ子さんの翻訳で紹介されています(『歓びのうた、祈りのこころ』教団出版局)。前半で、神さまが約束なさったのはいつも順風満帆な人生ではないことが歌われた後、こう続きます。「そうではなくて神さまの約束は/その日を生き抜く力/労働にはそれに報いる休息/行く道を照らす光/そして試練に立ち向かうときに/恵みと上からの助けを/けっしてあやまたず しかもたえず/慈愛を注がれることにあるのです」。若い時から重い関節炎を患い、病状の悪化により念願の教師の職も2年で諦めなければならず、その後は療養所で詩を書き続けた人生だったと言われています。神さまへの信頼に満ちた真っすぐな言葉が、このような試練に立ち向かう日々の中から紡ぎ出されたことに打たれます。「たえず/慈愛を」と訳された「undying love」という言葉が、死も断ち切ることのできないとこしえの愛をもたらしてくださった十字架の死と復活を思うこの時、響いてきます。(左近深恵子)